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コメの道

 日本人には欠かせない米。

ブラジル人もフェイジョンといっしょによく食べますね。

稲(イネ)から米が収穫(しゅうかく)されます
long_grain_rice.jpg

日本人の主食(しゅしょく)である米
arrozjapones.jpg


今では誰(だれ)でも当たり前のように食べている米(コメ)ですが、今から約3,000年ほど前には日本では米は食べられていませんでした。
その時代(じだい)には、日本では稲(イネ)は作られてなく、人々(ひとびと)は狩(か)りや釣(つ)りや採集(さいしゅう)などをして暮(く)らしていたのです。
ちょうど昔のブラジルのインディオ(先住民)と同じですね。

今から約1万6,500年前から約3,000年ほど前の縄文時代(じょうもんじだい)の日本人の生活(せいかつ)
Era Jomon

そんな日本に稲作(いなさく=イネの栽培(さいばい))が伝わったのが3000年前だと言われています。

北九州(きたきゅうしゅう)に伝(つた)わった稲作(いなさく)は、急速(きゅうそく)に日本中(にほんじゅう)に広がりました。 汗水(あせみず)たらして野原(のはら)を走り回って鹿(しか)やイノシシなどを狩(か)ったり、苦労(くろう)して魚(さかな)を釣(つ)ったり、木の実(み)などを集めなくても、きちんと季節(きせつ)にそって稲(イネ)を植(う)え、秋に収穫(しゅうかく)すれば生きのびるための食料(しょくりょう)を得(え)ることができるのですから、これほど安定(あんてい)したタンパク源(げん)はないわけです。


日本に稲(イネ)が入ったころの稲作(いなさく)
弥生時代の稲作

現在の稲作(タイ)
320px-Tranplant-rice-tahiland.jpg

稲の刈り入れ(日本)
稲刈り

それ以来(いらい)、米は日本人の大事(だいじ)な主食(しゅしょく)となりました。

でも、今になってもまだよく分かってないのが、誰が稲(イネ)と稲作(いなさく)技術(ぎじゅつ)を日本に持ってきたか、ということです。
多(おお)くの研究者(けんきゅうしゃ)は、稲作は中国(ちゅうごく)や朝鮮(ちょうせん)からもたらされたものと考(かんが)えています。
中には大野晋(おおの すすむ 国語学者。文学博士。学習院大学名誉教授)博士(はかせ)のように、稲作はインド南部の人たちが、現在(げんざい)の日本語(にほんご)の元(もと)となったタミル語といっしょに稲作を日本にもってきたという考えをもつ学者(がくしゃ)もいます。

遠い昔、タミル人はこのような船に乗って日本へやってきたのだろうか
navio_antigo-9b3c2.jpg

大野博士(おおの はかせ)は、日本とタミルの共通性(きょうつうせい)として、日本語とタミル語の基礎語彙(きそごい)の共通性(きょうつうせい)のほか、3000年ほど前にはタミル人は米の形(かたち)が丸(まる)くて短(みじか)いジャポニカ種(しゅ)という米を食べていたことを示(しめ)しています。
現在、インドでは米の形(かたち)が長いインディカと呼ばれる種類(しゅるい)の米を食べていますが、インド南部のタミル地方では、昔は今の日本と同じような丸い米を食べていたというのです。

j_i.jpg

これらのことを考(かんが)えてみても、コメの道(Caminho do Arroz)というのはたいへん興味深いところがありますね。
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