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終戦記念日とは?

ブラジル生まれの人たちにとっては、「終戦記念日」といってもピンと来ないかも知れませんね。

でも、日本人にとっては、大きな意味をもつ日です。
といっても、今の20代~30代くらいの若い世代の日本人にはあまり実感がないかも知れませんけど。

ちょっと、インターネットで調べてみると、「終戦記念日」について、

”日本では昭和20年(1945年)8月15日における第二次世界大戦(大東亜戦争・太平洋戦争)の終戦を記念した日。 正式名称は「終戦の日」。 昭和20年8月、御前会議における昭和天皇の御聖断により戦争終結が決定され、8月14日に終戦詔書を渙発、翌15日正午に天皇自ら戦争終結を国民にお伝えになる録音放送「玉音放送」(ぎょくおんほうそう=天皇による、連合国への降伏宣言)がラジオから流された。 この放送を受けたほとんどの日本人は天皇の御意志(ごいし)を奉戴(ほうたい)して武装解除(ぶそうかいじょ)した。”

とあります。

昭和天皇による玉音放送のようす
declaracao de rendicao

皇居前で玉音放送を聞く人たち
rendicao do japao


第二次大戦大戦(日本では太平洋戦争)における、日本の死者(戦いで亡くなった兵士たちや、内外でなくなった日本人たちを含む)は310万人といわれています。(日本政府の発表数

”無謀な戦争”といわれる、この太平洋戦争に日本国民を引きずった、当時の為政者(governo do país)の責任はたいへん大きいものです。
太平洋戦争では、日本はアメリカ、ソビエト連邦(今のロシア)、中国、オーストラリアなど(連合国と呼ばれる)と戦いましたが、戦争を始める前の調査では、連合国の中でもっとも経済力のあったアメリカと日本の経済力の差は60倍だったそうです。
そんなに力のある国と長い間、戦争をして勝てるはずがないのです。

圧倒的な連合国の戦力の前に、日本は太平洋の各地で負け始め、ついにはアメリカ軍は沖縄を攻撃して占領(1945年6月)。沖縄では、この戦いで一般市民が20万人なくなっています(沖縄県民の四分の一が死亡)。
それでも、日本の軍部政府は戦争を続けるつもりでしたが、アメリカ軍は1945年8月6日に広島市へ原爆を投下し(一般市民の死者20万人以上)、ついで3日後の8月9日には長崎市にも原爆が投下されました(約15万人が死亡)。


広島へ投下された原爆爆発後にたちのぼったキノコ雲
bomba atomica em hiroshima1


原爆によって黒焦げとなった広島市の犠牲者たち
bomba atomica em hiroshima


黒焦げとなった少年
menino carbonizado com bomba atomica em hiroshima



この人道無視の悲惨な原爆による攻撃を受け、ようやく日本政府も連合国による「降伏要求」を受入れ、1945年8月15日降伏をしたのです。
でも、日本の歴史では、この「降伏をした日」(Dia de Rendição)のことを「敗戦の日」(Dia de Derrota na Guerra)とは言いません。学校の教科書でも「終戦記念日」(Dia de Término da Guerra)と書いてあるだけです。「敗戦」と「終戦」では意味がまったく違います。「敗戦」は戦争に負けたこと。したがって「降伏」したとすぐ理解できますが、「終戦」では、ただ戦争が終わったという意味だけです。「終戦」という言葉では、明確に”戦争に負けた”、”降伏した”ということがわからないのです。
言葉というものは。正しく使わないと真実まで曲げてしまうことになります。

戦争終了後の東京。一面の焼け野原となっている
tokyo apos termino da guerra

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