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日本語学習と脳の働き

  小さい時から日本語をいつも聞いたり、話したりしてきた人は別として、ずっとポルトガル語だけを使って来た人にとって、日本語を学習するというのは、たいへんなことだと思います。


言語

 その理由は、日本語とポルトガル語はまったく違う言語だからです。
だから、それまで日本語を使ったことがない人が、日本語学校に入って日本語を習いはじめると、その難しさにおどろくのではないでしょうか? 習いはじめた最初の頃は、好奇心から勉強するのも楽しいかも知れませんが、その時期をすぎると難しさ(覚えにくさ?)がネックになって勉強を続けるのがイヤになるかも?
ブラジル人であるみなさんにとって、日本語を覚えるのが難しいということは、反対に日本人にとってもポルトガル語を覚えるのが難しいということにもなります。 

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ここで少し、私(ケンジ先生)のポルトガル語学習のストリーを紹介したいと思います。
今でこそ、プロの翻訳家として、普通の言葉や文章なら たちどころに訳す私ですが、当然のように最初からそうではありませんでした。
 私は日本生まれです。10歳まで日本で教育を受けました。ブラジルに来てからも、日系人の多い植民地に住み、当時はほとんど日本語会話だけで足りてたので、ポルトガル語をはやく覚えなければいけないなどとは考えませんでした。 しかし、ブラジルの学校に通いだし、ポルトガル語を習いはじめるようになると、私の脳の中にそれまでに築かれていた日本語という言語の大きな柱(神経回路)のほかに、ポルトガル語という新しい言語の柱( 神経回路 )が作られはじめました。
 この二つの神経回路が、どのように働いていたかというと、ポルトガル語を聞くと、「ポルトガル語の神経回路」から「日本語の神経回路」にその言葉を送って日本語に翻訳して日本語で理解し、ポルトガル語を話す場合は、まず「日本語の神経回路」で話したいことを作り、それを「ポルトガル語の神経回路」に送ってポルトガル語訳し、それを話すという、なんとも手間のかかる、複雑な方法を使っていたのです! 
 大人になって、さらにポルトガル語の必要性が増えるにつれ、私の脳の中の翻訳マシーンはますます大活躍するようになりました。 そして、ン十年経った時には、ポルトガル語・日本語の単語や文章を脳の翻訳マシーンでそれぞれに対応する言葉に変える努力をしなくても、瞬時にできるようになったのです!


神経繊維(軸索とも言う。黄色の鎖状につながっている部分)
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 ちょっと話は変わりますが、少し前に日本のTV番組で「脳の働き」という特集をやっていました。
それによると、脳の中にあるいろいろな領野 ― 運動野とか視覚野とか言語野など ―は、その領野の発達を促す刺激が行われると、脳内の信号を伝えるニューロンが太くなり(注1)、伝達スピードが速くなる― つまり、あることをくり返し練習・鍛錬すると大きく上達する― というのです。 だから、プロの選手や音楽家などは、毎日6時間とか8時間とかの練習をくりえすのです。
同じように、日本語の学習も、毎日、毎週するのは たいへんかも知れませんが、それをあきらめずにくり返すことで上達するという科学的証明なのです。 みなさん、おおいに脳を鍛えて日本語を上達しましょうね!

注1):実際は神経が太くなるのではなく、神経繊維(軸索とも言う)の周囲に脂肪分が蓄積することで、神経細胞間の信号通達速度・量が増加し、その結果としてその領野がつかさどる能力が発達する。


Aprendizagem da Língua Japonesa e o Nosso Cérebro

Por: Prof. Kenji

Com exceção das pessoas que desde criança está familiarizada com a língua japonesa, para a maioria das pessoas que somente usavam a língua portuguesa, aprender a língua japonesa não deve ser nada fácil. Eis porque, as duas idiomas são completamente diferentes.
Por esta razão, quando as pessoas começam a aprender o japonês, devem enfrentar uma certa dificuldade devido a complexidade da língua japonesa.
Obviamente, no início o aluno está cheia de curiosidade e interesse em aprender a língua japonesa e irá se aprendendo até com certo prazer, divertindo as vezes. Mas na medida que o estudo vai avançando e a dificuldade também vai se aumentando proporcionalmente, o aluno pode até ficar meio desanimado ou desestimulado em continuar no estudo.
Mas, esse fato, de que a maioria dos brasileiros têm certa dificuldade em aprender o japonês, pode ser dito também para os japoneses que aprendem o português, não acham?
Baseado nesse pressuposto, gostaria de contar um pouco da minha história de aprendizagem do português.

Hoje, como tradutor profissional, posso traduzir frases e vocabulários na mesma hora, num piscar de olho. Mas, obviamente, nem sempre fui assim.
Nasci e cresci no Japão até os meus dez anos. Após a minha família ter-se mudado para o Brasil, sempre moramos nas comunidades japonesas, onde saber falar japonês bastava para se comunicar, portanto, não sentia tanta necessidade de aprimorar o meu português.
Mas quando comecei a ir na escola e aprender o português, dentro do meu cérebro começou se criar um raíz de nervo linguístico chamado “português”, além do já existente enorme raíz do nervo linguístico japonês. E como esses dois raíses de nervos linguísticos trabalhavam? Era assim: Quando eu ouvia português, cada frase era enviado para “raíz da língua japonesa” e procurava tradução em japonês para entender o significado. E quando eu precisava falar em portugues, montava primeiro as frases no “raiz de lingua japonesa”, para em seguida enviar para o “raiz de lingua portugesa” para montar de acordo com a gramatica portuguesa e so depois abrir a boca para falar (que ainda nao era tao perfeito na epoca...). Mas como esse processo era demorado e complicado!!!
Após me formar e começar trabalhar nas empresas, aumentou ainda mais a necessidade de usar as duas línguas, português e japonês. Não havia outro jeito, eu tinha que continuar a usar e abusar da minha máquina de tradução complicada do cérebro.

Diagrama Completa de Nerônio Cerebral 神経細胞の構造図
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E quando passou-se certo tempo, dentro do meu cérebro havia-se formado a habilidade de traduzir simultaneamente quaisquer frase, tanto em japonês como em português, sem mais a necessidade de ficar procurando tradução correspondente de cada palavra ou frase, as traduções já surgiam naturalmente, como fluxo de um rio.

Mudando de assunto, outro dia assisti uma reportagem na TV sobre a “função do cérebro”. De
acordo com essa reportagem, as áreas de córtex do nosso cérebro, como área motora, área linguística, área visual, etc., quando recebem estímulos constantes e contínuos, tendem a aumentar espessura(* 1) dos nervos que interligam as áreas relacionadas. O resultado disso no decorrer de algum tempo é aumento expressivo da habilidade. É e justamente por esta razão que os jogadores ou músicos profissionais, treinam várias e várias horas por dia, chegando a 6, 7, 8 horas de exercicios diários. E esse árduo treinamento que os tornam singulares nos que fazem.
A aprendizagem da língua japonesa também é semelhante. É realmente nada fácil estudar todo dia,
toda semana, mas é justamente isso que nos traz grande avanço na aprendizagem. A ciencia está
comprovando isso!
Vamos exercitar bastante o cérebro e aprimorar o japonês!

*1: Esse "aumento de espessura" dos nervos mencionado aqui, na verdade é causado pelo acímulo de lipídios na fibra nervosa que resulta no aumento e quantidade de transmissão de sinais entre nerônios.
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フィナードスの日

 フィナードスの日(Dia dos Finados。万霊節)は11月2日です。

万霊節(ばんれいせつ)は、死者の日(ししゃのひ。Dia dos Fiéis Defuntos ou Dia de Finados)とも呼ばれ、キリスト教で全死者の魂のために祈りを捧げる日です。ローマ・カトリック教会では正式には「信仰を持って逝った人全ての記念日」と呼ぶばれます。 カトリック教会では、万霊節は諸聖人の日(諸聖人の祭日・万聖節)の翌日の11月2日となっています。(以上、Wikipediaを参照)

フィナードスの日はカトリック教徒にとっては大事な日です。
死者の日



ポルトガル語Wikipediaには、Dia dos Finadosについて次の記述があります。
2世紀ころより、ヨーロッパのカトリック教徒たちの中には、お墓参りをして亡くなった人たちのために祈りを捧げる人がいた。5世紀になると、ローマ・カトリック教会では正式に一年に一度、全ての死者に祈りを捧げる日を設けることを決めた。それは、ほとんどのカトリック教徒が死者のために祈りをするどころか、死者や先祖のことをまったく忘れてしまっている人が多かったためだ。
13世紀に入ると、ローマ・カトリック教会は正式に11月1日の「諸聖人の日」(Festa de Todos os Santos)の翌日の11月2日を「死者の日」と決め、教徒たちが墓地を訪れ、亡くなった人たちのために祈りを捧げる日とした。Wikipedia Dia dos Finados

William-Adolphe Bouguereauによる「死者の日」の画
万霊節1


 フィナードスの日は、今ではカトリック教徒であるなしに関わらず、ほとんどのブラジル人がお墓参りをする日として定着しています。
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コメの道

 日本人には欠かせない米。

ブラジル人もフェイジョンといっしょによく食べますね。

稲(イネ)から米が収穫(しゅうかく)されます
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日本人の主食(しゅしょく)である米
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今では誰(だれ)でも当たり前のように食べている米(コメ)ですが、今から約3,000年ほど前には日本では米は食べられていませんでした。
その時代(じだい)には、日本では稲(イネ)は作られてなく、人々(ひとびと)は狩(か)りや釣(つ)りや採集(さいしゅう)などをして暮(く)らしていたのです。
ちょうど昔のブラジルのインディオ(先住民)と同じですね。

今から約1万6,500年前から約3,000年ほど前の縄文時代(じょうもんじだい)の日本人の生活(せいかつ)
Era Jomon

そんな日本に稲作(いなさく=イネの栽培(さいばい))が伝わったのが3000年前だと言われています。

北九州(きたきゅうしゅう)に伝(つた)わった稲作(いなさく)は、急速(きゅうそく)に日本中(にほんじゅう)に広がりました。 汗水(あせみず)たらして野原(のはら)を走り回って鹿(しか)やイノシシなどを狩(か)ったり、苦労(くろう)して魚(さかな)を釣(つ)ったり、木の実(み)などを集めなくても、きちんと季節(きせつ)にそって稲(イネ)を植(う)え、秋に収穫(しゅうかく)すれば生きのびるための食料(しょくりょう)を得(え)ることができるのですから、これほど安定(あんてい)したタンパク源(げん)はないわけです。


日本に稲(イネ)が入ったころの稲作(いなさく)
弥生時代の稲作

現在の稲作(タイ)
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稲の刈り入れ(日本)
稲刈り

それ以来(いらい)、米は日本人の大事(だいじ)な主食(しゅしょく)となりました。

でも、今になってもまだよく分かってないのが、誰が稲(イネ)と稲作(いなさく)技術(ぎじゅつ)を日本に持ってきたか、ということです。
多(おお)くの研究者(けんきゅうしゃ)は、稲作は中国(ちゅうごく)や朝鮮(ちょうせん)からもたらされたものと考(かんが)えています。
中には大野晋(おおの すすむ 国語学者。文学博士。学習院大学名誉教授)博士(はかせ)のように、稲作はインド南部の人たちが、現在(げんざい)の日本語(にほんご)の元(もと)となったタミル語といっしょに稲作を日本にもってきたという考えをもつ学者(がくしゃ)もいます。

遠い昔、タミル人はこのような船に乗って日本へやってきたのだろうか
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大野博士(おおの はかせ)は、日本とタミルの共通性(きょうつうせい)として、日本語とタミル語の基礎語彙(きそごい)の共通性(きょうつうせい)のほか、3000年ほど前にはタミル人は米の形(かたち)が丸(まる)くて短(みじか)いジャポニカ種(しゅ)という米を食べていたことを示(しめ)しています。
現在、インドでは米の形(かたち)が長いインディカと呼ばれる種類(しゅるい)の米を食べていますが、インド南部のタミル地方では、昔は今の日本と同じような丸い米を食べていたというのです。

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これらのことを考(かんが)えてみても、コメの道(Caminho do Arroz)というのはたいへん興味深いところがありますね。
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今年は午年です

 みなさん、あけまして おめでとうございます!


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今年は午年(うまどし)です。

「うま」という漢字は「馬」なのに、なぜ「うし」の字の「午」を使うのだろうか…?

と日本語がわかる人は思いませんか?

ケンジ先生もその理由を知らなかったので、ちょっと調べてみました。


「馬」は象形文字で、馬のたてがみと足を示しています。

一方、「午」は干支からきています。
干支は、中国の殷(いん)の時代、人々は木星を尊い星とし、その動きを詳しく観察しました。その結果、木星は空を12年で一周することがわかり、その位置を示すため空を12の部分にわけました。そこに名前をつけたのが十二支(じゅうにし)のはじまりといわれています。

この十二支の「子=鼠」「丑=牛」「寅=虎」「卯=兎」「辰=龍」「巳=蛇」「午=馬」「未=羊」「申=猿」
「酉=鶏」「戌=犬」「亥=猪」は直接関係ありません

午の字義は「杵(きね、さからう)」です。
陽気は絶頂に達し、頂点を極めたところで今度は下り坂に向かうポイントにあたります。つまり、陽きわまったところに、それに逆らって陰の気が出てくることを意味します。万物は繁殖を極めますが、頂点を越して今度は衰微に向かいます。
ちなみに、「正午」という言い方は、午の刻ぴったりを意味する言葉です。これに対して、「正子」は夜中の12時を意味します。
Yahoo知恵袋より引用しました)

 つまり、古代中国の殷(いん)の時代に考えだされた干支(えと)は、本来、動物の名前とは直接関係がなく、普通の人がおぼえやすいように、動物の名前と関連づけたというのです。

また、干支(えと)」とは、正確には「十干(じっかん)」と「十二支(じゅうにし)」の組み合わせですので、2014年(平成26年)の干支(えと)は午(うま)というのは正しくありません。2014年の場合、十干は「甲(きのえ・こう)」、十二支はご存知の「午(うま・ご)」なので、干支は「甲午(きのえうま・こうご)」となります。


午年については、以下のような興味深いこともあります。

午年生まれは日本で一番人口の少ない干支

総務省統計局の発表では、来年の干支である午歳の生まれは、958万人。
これは人口比率で7.5%。最も少ない干支になるそうだ。
男性は465万人、女性は493万人。
やはり、昭和41年の丙午(ひのえうま)が、午歳生まれの人数が少ない主たる原因のようだ。
丙午の迷信については、僕の個人ブログの「八百屋お七」( http://social-days.com/wp/?p=2165 )も参考にしていただくとして。
その総務省統計局の資料を見ると、一番多いのは、

丑(うし)年。1,133万人。
二番目が、子(ね)年。1,115万人。
三番目が、巳(み)年。1,114万人と続く。
残念なことに、1,000万人台に届かないのは、酉年と午年だけである。

                     (参考サイト:はこちら

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謙譲のこころ

【謙譲】(けん‐じょう)[名・形動]へりくだりゆずること。自分を低めることにより相手を高めること。また、控えめであるさま。

日本人の美徳のひとつである『謙譲』の精神のすばらしさが、中国人たちからも認識されています。
以下は、最近、インターネットニュースで見つけた記事です。


日本で学んだ「謙譲の精神」...中国でも広めたい

国や地域が違えば、当然ながら文化も考え方も違うものだ。違いに驚くこともあるが、違いから学ぶこともあろう。日本に留学してもうすぐ4年という中国人ブロガーの343502710(ハンドルネーム)さんは、「自動車の免許を取ろう」と思い立ち、教習所に通っているそうだが、教習所で学んだ「互譲(ごじょう)の精神」に感激したという。

  筆者は日本に来たばかりのころ、さまざまな点でカルチャーショックを受けたそうだが、自動車の教習所で再びショックを受けたそうで、「中国に帰った際には自身の経験をもとに周りを変えていきたい」と自身のブログで抱負を語っている。

  教習所では学科教習として運転の心得などを学ぶ。酒気帯び運転の禁止や道路交通法の遵守などは、運転者としてのモラルというよりも人間としての基本でもある。筆者にとってショックだったのは、教習所の授業で強調されていた「運転者としてもっとも大切なこと」が、技術ではなく「互譲の精神」だったことだという。

  教習所では、「標識がなくても、小さな子どもやお年寄りがいたら減速したり停まったりするように」と教えられたそうだ。しかしこうした考えは「中国ではありえない」ことだという。

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  中国であれば、仮に出勤時にお年寄りがゆっくり歩いていたら、自動車側は「親切に警告してあげる」ためにクラクションを鳴らし、相手を止まらせて通り過ぎることが普通だという。その考えは「こちらは出勤に間に合わなくなるかもしれないのだ。時間のたっぷりある年寄りこそ道を譲るべき」ということらしい。

  筆者は、「中国の考えが間違いだとは言わない」としながらも、日本人は違う角度から見ていると分析した。

  筆者は、日本で暮らしてきた4年間で、「ちょっとしたところに現れる思いやり」を幾度となく見てきて、そのたび心が温かくなったことを振り返っている。最後に、「自分も中国に帰ったら、どんなに罵(ののし)られようと互譲の精神を持って運転し、周りを感化していきたい。愛するわが国も、本当の意味で日本のような先進国になれる日が来ることを信じている」と決意を語った。   引用記事はこちら         (記事編集:畠山栄)
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